2014年6月27日金曜日

独りよがりな自転車ライダー



独りよがりな自転車ライダー
(http://www.hashslingrz.com/morally-self-elevated-bicycle-riders)

二輪のラッダイト著  安保夏絵・木原善彦訳

 セルビア人のテロリストとオーストリア・ハンガリー人の暗殺に関する酒場の会話にはもう飽きた。イギリスは国内問題だけで大変だ。女性参政権論者の過激派が至る所に爆弾を仕掛けている――セントポール大聖堂からイングランド銀行、数週間前にはウェストミンスター寺院にある即位式用の椅子の下にまで。まったく悩ましい。白目製のジョッキを口に運びながら、ネヴィル・ファイフヘッドは松に似たホップの香りを吸い込む。この黄土色の美味しいビールを飲めば再び自転車をこぐ元気が出る。ゴクゴクゴクと、バジャー・エールをもう一杯。店を出る時間だ。
 酒場を出たネヴィルは信頼性のあるローバー安全型自転車に乗り、小説家のトマス・ハーディーがショッツフォードと呼んだブランドフォードを去る準備に取り掛かる。ちょうどその時、新型っぽい自転車に乗る一人の若い女性が、道路の向こう側にある「クラウン・イン」の入り口から現れた。
「ごきげんよう。チェイス川を渡ってソールズベリーにいらっしゃるのかしら?」。彼女はおじることなく尋ねる。
「おっしゃるとおりです、マダム。トマス・ハーディー の有名な小説で描かれた全ての場所を訪れるために、私はこのローバー・コブ・バイクに乗って観光しているんです。次の目的地はメルチェスター」
「まぁ! あなたも文学作品に憧れて自転車で観光を? なんて素晴らしい偶然なのかしら。私はH・G・ウェルズの『偶然任せの自転車旅行(The Wheels of Chance)』でジェシー・ミルトンが走るルートをたどっているの。ところで、私の名前はビー。ビー・ミンスター」
 ネヴィルは彼女の積極性に少なからず驚いたものの――もちろんブルマとコルセットの下にある魅力的な体型にもたじろいだのだが――丁寧に帽子を軽く持ち上げ、少し照れてつかえながら言う。「お会いできて嬉しいよ、ビー」
 しかし、大量に飲んだビールの影響もあって彼はすぐにおしゃべりになり、会話が始まる。ネヴィルはハーディーの叙述の仕方について情熱的に説明し始める。ハーディーは比喩や繊細な細部、完璧な語彙選択を通じて、心と体と魂について複雑で、かつ現実味のある描写をする。しかし彼の小説は、イギリスの失われた理想郷に関する物悲しい思索を含む一方で、現代の変化を映し出してもいる。制御不可能な世界的規模の勢力としての産業化や帝国主義が田舎でも都市でも労働者の上に黒い雲を投げかけ、普通の人々は絶望し、無力になっている。寡占的資本主義や機械化が社会の全ての階層に浸透することで、結果的に人類を破滅させようとしている。
「ハーディの小説って必ずしも楽しいものじゃないですよね?」とビーが話に割って入る。「何かの出来事がある前に何ページも何ページも退屈な描写を続けたりしなければ、多少は楽しい作品になるでしょうけど。誰だって馬くらい知っているのに、ハーディーはそのたてがみを説明するのに二十ページも使う。私に言わせれば、彼はむちゃくちゃすさんだメロドラマを書く達人。しかも、他の誰よりも新しいタイプの女性を恐れています。『日陰者ジュード』では、ジュードの息子は首を吊って自殺する前に、弟や妹を殺す。ジュードが心の底から愛したスーは神なき生活から逃げ出す。そして色情狂のジュードは傷心し、一文無しになる。彼もまた、女性の気まぐれに振り回されて死んだ被害者というわけ」
 話題はH・G・ウェルズに移る。ビーはウェルズが文体の革新者であると考えている。ウェルズは一つの物語の中で、複数の語り手を次々と切り替える。あるいは、社会的な概観や論評を加えるために未来の歴史家の視点を設定したりする。「『宇宙戦争』には優れた兵器で侵略してくる火星人が出てくるの」とビーは説明する。「それは人間自身の滅亡の寓意なのよ。人間は自分たちの方が道徳的に優れていると信じてドードーやバイソンのような動物種を滅ぼした。その先には人類の滅亡がある。タスマニアのアボリジニたちは開拓移民が羊を飼うということで、まるでカラスのように撃たれた。何人かいた生存者も収容所に入れられ、病気や飢えで亡くなるまで放っておかれた。ウェルズは読者に、虐げられた人々の視点から植民地主義による侵略を考えさせるようにしているんじゃありませんか。化学ガスや熱線銃みたいな兵器……そんな技術が現実のものになったら――きっとそうなりますけど――一体ヨーロッパの列強はどうするんでしょう? ある人種や帝国に優越性がある、そして他の弱者を搾取し、酷使して商品として扱う権利を持つというこの思考は、奴隷制とともに終わるべきものだった。そして国と国との間に当てはまることは、国の中にも当てはまる。だから、今日のイギリスは女性はまだ参政権を得ていないの」
 会話を途中でやめたビーは突然、ネヴィルが坂に苦労しているのに気付く。足はペダルが上に来るたび、ギシギシと音をたてながら止まりそうになり、顔は驚くほど紫色だ。呼吸するたびに息切れをしているネヴィルは逆に、ビーがまるでヤギのように坂を踊りながら登るのを見て驚きを隠せない。そしてビーの自転車の後輪を見て初めて、ギアやテンショナー、レバー、ケーブルといった驚くべき構造に気づいた。
「これはフランスの最新の発明品なの。“変速機《ディレーラー》”」。ビーはネヴィルの視線が下を向いていることに反応して説明する。「このレバーを使うと、ペダルを漕いでいる最中にギアを速やかに切り替えられる。プーリーが二つあるからチェーンのテンションは保たれる。チェーンはアメリカで新しく発明された小型のジャイロコンパスにつながっているの。自転車をこぐと、摩擦駆動装置《フリクションドライブ》がものすごいスピードでジャイロを回転させて、ジャイロは重力の力によって正確に北の方角を示す。それを利用して、私が左右に曲がるときには方角が修正される。そして、サイン、コサインの値を差分ギアボックスに入れて、直交速度ベクトルを割り出し、二つのサイクロメーターを動かす。要するに、緯度方向と経度方向に移動した距離を別々に計測するわけ。残念なことに、坂道があると測定に誤差が生まれるけれど、摩擦駆動装置《フリクションドライブ》があるから、ジャイロコンパスの慣性の力を車輪に伝えることが可能なの……そしたら、ビューン! すいすーい! 貯めたエネルギーを使って勝手に登っていく。テクノロジーとはすごいものね。いつか、エンジニアが一定の周波数の無線局でネットワークを作って、信号の位相の違いを比べることで、今いる場所が正確に分かるようになるでしょう。想像してみて! もう二度と、迷子になることなんてないのよ。そんな技術が生まれたら、一体何ができるか考えてみて」
 ネヴィルはビーが言っているちんぷんかんぷんな科学の話を全く理解できない。地図とコンパスで何がいけないのか。そもそも彼女の言っていることは可能なのか、それとも彼女のおしゃべりはウェルズ風のサイエンスフィクションなのか。人類が科学技術の発展に支払う代価、すなわち工場や怪物のような軍事資源はあまりに高すぎる。しかし、リングウッドへの曲がり角に達する頃には、信じられないことに、似ても似つかぬ二人の意見が一致する。自転車というものは質素だが、人類最大の発明品であることは、ラッダイトでも認めるところだ。自転車は産業化時代の究極の産品であり、全ての人に自信と自由を与え、活力と精神的な豊かさを維持させる点で並ぶものがない。まさに、ウェルズ氏が主張するように、“自転車に乗る大人を見ると、とても人類の行く末に絶望する気にはなれない”。まったくその通りだ、とネヴィルは思う。

【訳者解説】
 ピンチョンさんの小説を読む限り、彼が自転車に乗ってそうな感じはあまりしません。『ブリーディング・エッジ』には、ニューヨークの街を独りよがりに走る迷惑サイクリストがちらっと登場したりする(この作品のタイトルが出て来る箇所)ので、むしろニューヨーク居住者として自転車乗りをよく思っていないのかもしれません。ちなみにタイトルは、『ブリーディング・エッジ』内ではあまりよくない意味で使われたフレーズ。でも、この短編の中では、「自分で勝手に坂を登っていく自転車」という意味になっています。
 この短編を書いた「二輪のラッダイト」(ハッシュスリンガーズさんと同一人物?)さんは自転車が好きらしくて、短編にその愛情がみなぎっています。
 ピンチョンさんはさておき、自転車好きの有名人でPさんとどこかしら共通点がありそうな人はたくさんいます。パソコンのことを「知の自転車」と呼んだスティーヴ・ジョブズ(詳しいことはこちらのHPなどを参照)。自転車旅の滑稽小説『偶然任せの自転車旅行(The Wheels of Chance)』を書いたH・G・ウェルズ(小説はグーテンベルクプロジェクトで読めます。梗概を読む限り面白そうですが未読。どうやら日本語に訳されたことはなさそうですので、邦題も定まっていません)。アインシュタインは自転車に乗りながら相対性理論を考えたとか、JFケネディが「自転車に乗る純粋な喜びに勝るものはない」と言ったとかいうはなしもこちらに紹介されています。海外文学のファンなら「自転車小説と言えばフラン・オブライエンの『第三の警官』(つい最近、白水Uブックスで復刊)だろう」という方もあるかもしれません。
 ハーディー好きな男(古風な男)とウェルズ好きな女(今時な女)が自転車旅で出会い、女は変速機・摩擦駆動装置・アナログナビ付きの最新型自転車で颯爽とダンシングしながら坂を上り、男は顔を紫にして必死に坂を登る……。面白い構図だと思います。変速機はもちろん実在しますが、ここに記述されるような自転車ナビは存在しません。でも、摩擦駆動装置《フリクションドライブ》というのはかなり古くから実在します。電動アシスト自転車みたいに、必要に応じて後輪をモーターで回転させる装置。いわゆる電動アシスト自転車はハブの部分で回転を伝えるのだと思いますが、フリクションドライブはタイヤのゴムの部分に回転を伝えるので、普通の自転車に取り付けたり、坂のときだけ装置をタイヤに接触させたり、と自由度の高い道具みたいです。
 ローバーの自転車はここで見られます。
 とか、ちらちらと検索をしていたら、トマス・ハーディーがローバー・コブ・バイクに乗っていたという記事を発見しました。記事を読むと、ずっと馬車で移動していたハーディーが最初に自転車に乗るようになったのは、“進んだ女”だった奥さんに勧められたのがきっかけだったとか、一日で40マイル(60-70キロほど)走ったりしたとか。勉強になりました。というか、上に添えた写真こそ、ハーディーとその自転車ではありませんか!
 自転車のことばかり書いていたら、『日陰者ジュード』とか、女性参政権運動とか、時代設定(1914年)とか、他のネタに註を添える力が尽きました……。

(了)

2014年6月12日木曜日

血と羽



血と羽
(http://www.hashslingrz.com/blood-and-feathers)

ハッシュスリンガーズ著 佐野知足・木原善彦訳

 シェネガ表現療法センターはロサンジェルスとパームデールを結ぶ幹線道路から数マイル離れた小さな丸太小屋にあった。傍には湧水からできた泉があり、庭を鴨と雁《がん》がのびのびと歩き回る様子は温かい農家の雰囲気を感じさせ、砂漠と雑木が広がるキャニオン街道にとっては小さな緑のオアシスであった。  
 今日、アシュリン・ギアズは前向きな気持ちでそこへ来た。彼女は最初、演技療法を受けるつもりだったが、本職にあまりに近すぎたために、結局落ちついたのが記述表現療法だった。アシュリンは初診で、この療法が激しいもので感情を消耗しやすいと警告を受けた。しかし、たちまち彼女が感じたのは自由と解放感、それに悩みが晴れ、消え去ってしまう感覚だった。ジャックシェッツ医師は彼女の世界のすべてを変えた。魔法の治療、いや、人生の錬金薬。何であれ彼女は六回分の治療費を払い、治療は残すところあと二回だった。
 ジャックシェッツ医師は受付にいたアシュリンを診察室に招き入れた。今日の医師は普段より険しい表情をしていた。銀のもつれ髪にジーンズ、へそのあたりでボタンを留めたアロハシャツというカジュアルな姿だったが、彼の眉間には深いしわが寄っていた。
 「ギアズさん、記述表現療法とは患者が過去のトラウマや自らの非常に個人的な考えや感情について書くことです。しかしあなたの最初の挑戦は、遺伝子操作されたモンスターが登場する凶悪な終末的ストーリーであり、あなたの過去とは何ら関わりがないものでした。さらに言えば、感情的要素は全くもって表面的でした。絶叫、暴力、さらなる暴力、最後は突然、衝動的かつ不可解で制御不能な性的欲求といったふうに」
 「私は驚くべき人生をおくってきたのです、ジャックシェッツ先生。その話には、先生が想像する最も狂った夢よりもっと凄い個人的トラウマが含まれていますわ」。アシュリンは最大限の無垢な笑みを医師に向けた。  
 「その話は後でしましょう。あなたの二回目の挑戦は、始まりはよかった。夫の浮気を発見した際のあなたの感情面での反応は正直かつ率直でした。ひょっとするとあなたの心の奥底が一瞬本当に垣間見えたのかもしれない。しかしあなたはすぐに主題から逸れ、アカプルコでの休暇について話しだす。そしてここからあなたの話は、でたらめな性的体験の目録へと劣化していくのです。女友達とのレズビアン行為、またその友達の彼氏とのアナルセックスやオーラルセックスによる乱交パーティーでの絶頂、ひいては男性パートナーが達するまでスパンキングする女王様の役目をあなたが引き受けたSMプレイなど、刺激的な読み物だと思ったことは認めます。しかし、そこにはあなたの根本的な感情についての記述がほとんどなかったのです、ギアズさん」
 「けど、記述療法は役に立っていますわ、ジャックシェッツ先生。それに何より、天職が見つかりました。私は作家になれます。自信があります。もちろん性格描写、会話、視点などの細かな点を習得するには少し時間がかかるかもしれませんが……だけどそんなことは単に小手先の問題です。良いプロットさえあれば、あとはどうってことありません」
 「私は治療の末にあなたが辿りつく結果を心配しているのです、ギアズさん。そこで今日は、ちょっと新しいものに挑戦してみたいのです。あなたの精神を悩ます深層心理に深く眠る問題を一緒に解放しましょう。仰向けにこの寝椅子に腰掛けて、頭を空っぽにしてください」
 ジャックシェッツ医師はベランダに出るドアに向かった。外では彼の息子が楽しそうに三輪車で駆け回っている。ドアを開けると雌鶏が医師に優しく"バック……バック …ブルック…ブルーック"と挨拶し、部屋に上り込んで、医師の足下をつついた。ジャックシェッツ医師は机からトウモロコシの粒が入った袋を取り出すと、床と寝椅子、さらにはアシュリンの腹の上にもそれをばら撒いた。
 「今日のこの治療は熱心な飼鳥家であり、精神医療の分野における表現療法の先駆者でもある、アメリカ精神医学の父、ベンジャミン・ラッシュの研究ノートに記された実験に基づいています。私たちは鶏という媒体を通してあなたの精神を探っていきます」
 二羽の雌鶏は切られた翼を猛々しく羽ばたかせると、放物線を描いてアシュリンの腹の上に乗っかった。二羽の鶏は怖がるというより、むしろ熱心にアシュリンをじっと見つめ、じりじりと詰め寄ってくる。その様子は頭部を常にジャイロスコープみたいに水平に保つジュラッシクパークに出てくるヴェロキラプトル に似ていなくもなかった。二羽は立ち止まると、アシュリンの胸の谷間からトウモロコシの粒を啄ばんだ。
 「それでは集中してください。あなたは今、鶏です。鶏の目で、寝椅子に横たわるあなたを見てください。何が見えますか、ギアズさん」
 「不安げな女性が見えます」
 「いい感じです。あなたはなぜ不安なのでしょう」
 「このDKNYのシルクの服の上に鶏が糞をしないか不安なのです。これは自宅では洗濯できませんから」
 「急ぎすぎましたね。もう一度やり直しましょう。ご存知のように、鶏たちはお互いをくちばしでつつき合って明確な序列を決め、それに従っています。一度序列が作られると、争いはほとんどありません。しかし新参者がそこに入っていくのは難しい。人生とはタフなものなのです。物書きの世界にも、すでに有力な鶏たちがいるのです、ギアズさん。それはポストモダン文学の巨匠かもしれない、熟練の女性作家か、ジャーナリスト、推理小説作家、一般人の物書きかもしれない。彼らは凡庸だが、多産です。だけど私が思うに、ギアズさん、物書きという点において、あなたは年増の、卵を産まない雌鳥なのです。あなたは彼らに徹底的につつかれ、排出腔の羽をむしりとられ、裸にされ、血を流すことになるでしょう。あなたの文学における素人的挑戦は序列の最下位に位置します。その一方で、あなたはまだ空想世界に生き、自分が作家になれるのだと信じている。そして、精神に取りついた感情や過去を押さえ込み、埋没させようとしているのです」
 アシュリンは突然混乱してきた。ジャックシェッツは単なる気の狂ったやぶ医者じゃないのかしら。少し前まではジャックシェッツ医師が自分にしてくれたことすべてにアシュリンは感謝したいと思っていた。だが今、自分はここに横たわり、新しい洋服はトウモロコシの粒と鶏の糞まみれで、ジャックシェッツ医師から侮辱を受けている。それとも、彼はみせかけのアシュリンの奥底にある真実を暴いているのか。
 突然の衝突音で治療が遮られた。ジャックシェッツ医師の息子が庭のガラス扉に頭から突っ込んだのだ。それに驚いた鶏は前のめりになってアシュリンの鼻を鋭く突いた。すると傷から流れ出した血が彼女の顔をつたい、羽毛と相まって、光沢《グロス》のある唇にべったりと付いた。アシュリンが飛び起き、雌鶏が飛びのいた。
 「いいですか、先生。私は低俗な女優でした。お粗末なB級映画やポルノにも出た。恥だとは思わなかった。お給料はよかったし、楽しかった。何も気にしてないわ、ジャックシェッツ先生。だけど、私は業界のタブーは守ってきた。“子供や動物と仕事をするのはご法度”ってね」

【訳者解説】
 偉大なる喜劇役者W.C.フィールズ(ピンチョン『重力の虹』に言及あり)は「子供や動物と仕事をするのはご法度(Never work with children and animals)」という名言を残したとされています(もちろん、子供や動物は思ったように動いてくれないから、というのがその理由です)。その言葉を軸に書かれた短編です。
 アシュリン・ギアズは実在の女優であるアシュリン・ギアに基づいて造形された人物で、いわゆるB級映画に多く出演した人です。ですから結末は、「そんな私でも子供や動物との共演は断ってきた。なのに、先生ときたら、仕事の最中に庭で子供を遊ばせたり、動物を使って治療をしたりして、どういうつもり?」というオチになっています。オチをくどくどと説明するのは訳者として失格な気がしますが、上の訳でそれが伝わる自信があまりないので念のため。というのも、「子供や動物と仕事をするのはご法度」とか鶏の「つつきの順位(pecking order)」とか、英語ではわりと認知されている表現が、日本語では(多分)あまり定着していないので、そのまま訳すとぎこちない。でも、註を付けるのはまた別の意味でぎこちない。だから、少し言葉を足したりして該当部分を処理したのですが、ピタッと決まっているとは言い難いですね。

(了)

2014年6月11日水曜日

彩流社現代作家ガイド7『トマス・ピンチョン』がいよいよ発売です

[This post is a promotional interlude, not a hashslingrz story.]

今回はハッシュスリンガーズの短編ではありません(すみません)。
彩流社現代作家ガイド7『トマス・ピンチョン』がいよいよ発売になります、というお知らせです。



【内容紹介】
ポスト・モダン、そしてアメリカ現代作家の最高峰!?
トマス・ピンチョン、
「現代作家ガイド」シリーズについに登場!!
満載のギャグやポップカルチャーと高度な知性の混交、圧倒的な情報量、
複雑な構成、ノンストップで走りまくるストーリー……。
研究者はもちろん、文学ファンにも好評の「現代作家ガイド」シリーズの
最新刊は、その作風を一口には語るのが難しいだけでなく、公に姿を現さず、
プロフィールがいまだ謎に包まれる作家トマス・ピンチョンを取り上げます。 
【目次】
はじめに
 スターターキット(ピンチョンを読むためにおさえておきたいこと)
ピンチョンが語るーーエッセイ2 篇
 『ドン・Bの教え』(ドナルド・バーセルミ)への序文
 『ストーン・ジャンクション』(ジム・ダッジ)への序文
ピンチョンを語ろう
 【総論】ピンチョンとポスト・モダニズム
 【起源】理性と狂気
 【展開】ツーリストの論理
 【表現】ピンチョン節とは何か?
 【本質】探偵と電球
 【再構築】ピンチョンにみるポストモダン小説の変遷
 【継承】パラノイド文学史序説
増幅するピンチョン・ワールド
 日本におけるピンチョン受容/ピンチョンマニアが集う場所/貴重な草稿/
 明かされた人生/ゴシップ、そして論争/ピンチョン談話/作家の素顔を探
 る旅/ビジュアル版『重力の虹』/「聖地」をめぐる物語/陰謀史観がカワ
 イイ化したら/ヘンリー・ミラーとの邂逅?
ピンチョン作品ガイド
 V./競売ナンバー49 /重力の虹/スロー・ラーナー/ヴァインランド/
 メイスン&ディクスン/逆光/LAヴァイス/ブリーディングエッジ
BIBLIO(ビブリオ)+批評書ガイド付

【執筆者】
石割 隆喜(イシワリ タカヨシ)
大阪大学准教授
大串 尚代(オオグシ ヒサヨ)
慶応大学教授
巽 孝之(タツミ タカユキ)
慶応大学教授
波戸岡 景太(ハトオカ ケイタ)
明治大学准教授
三浦 玲一(ミウラ レイイチ)
前・一橋大学教授。
こんな感じです。

  • 最新作『ブリーディング・エッジ』ってどんな作品? 
  • 『重力の虹』のあらすじを手っ取り早く知りたいんだけど。
  • ピンチョンが9・11についてインタビューを受けたっていう話について知りたい。
  • ピンチョン関連の映像作品って、どんなのがある?
  • ピンチョンが他の作家の小説に序文を書いたものを読みたい!
  • ポストモダン文学とかって、そもそも何?
  • ピンチョンの私生活にちょっと興味がある……
  • 『ユリイカ』のピンチョン特集からもう四半世紀になるのに、新しい論集は出ないの?
  • 研究者が『重力の虹』について書いた論文を読んでみたい

というご期待に応えられるよう頑張りました。
執筆者の顔ぶれも豪華です。
どうぞ一度、書店で手に取っていただけますと光栄です。

2014年6月5日木曜日

無政府主義者の暗号



無政府主義者の暗号
(http://www.hashslingrz.com/anarchist-code)

ハッシュスリンガーズ著 藤木祥平・木原善彦訳


「目覚めよ、起き上がれ、目標に辿り着くまで立ち止まらず進め」
(サンスクリット語のヒンドゥー教の詩より)

 巨大な赤褐色の壺を頭の上に乗せていたり、ぶらぶらと散歩をしたりしている女のポーターたち、バニヤンの木の下で休む者たち、まるで溶けた蝋のように垂れ下がる枝。それらのかたわらを歩きながら、パーシヴァル・ヘッド=ウッドはこの暑さには耐えられないと感じていた。モンスーン前のこの夏の暑さはやっぱり、地元の連中にとっても、あるいはバニヤンの木にとっても耐えきれないものなのだろうか。パーシーは空想から自分を引き戻した。本当にうだるような暑さだが、国王と祖国のための任務へと取りかかろう。集中しなければ。
 パーシーの家族はずっと大英帝国に仕えてきた。しかし生まれつきの脚の神経損傷と重度の吃音のせいで、彼自身はその恩恵にあずかることができなかった。パーシーは自分が、西部戦線の胸壁の上で軍を率いるような英雄になれないことは承知していた。それどころか彼は、毛穴という毛穴から汗をかきながらここマドラスに駐在している、ただの副総監だ。それでも実際、警察の仕事はパーシーに向いていた。彼は抜け目のない分析的性格の持ち主で、几帳面で仕事もよくできる人物だった。細かい事柄には細心の注意を払う性分だ。戦争が終わって英国へ戻れば、コンラッドの小説に登場するテロリストや無政府主義を嗅ぎ回るヒート警部のように、ロンドン警視庁でポストにつくことができるだろう。そのためには、ここで自分の優秀さを示すことができれば十分だ。
 すでに彼は警官としての直感でもって、おそらくは無政府主義者の爆弾魔が関与する陰謀の可能性に感づいていた。パーシーはアマチュア無線が好きで、暗号化されたメッセージを収集し始めていた。最初は一重転置式で暗号化されていて、わかりやすい元の平文が単に並び替えられるだけだった。解読すると、メッセージには一見なんら犯罪性は見られない。世界各地で行われる石油貿易の話だ。アメリカ、日本、トルコ、ペルシア、メソポタミア――世界中のほとんど至る所で。しかしながら、メッセージのやりとりの後には必ず言及された地域で重大な事件――イギリス軍のクートでの降伏、ニュージャージー港での爆発、東南アフリカでのドイツ軍の勝利、ロシアでのボリシェヴィキの革命――が発生する。パーシーはこのことを偶然とは考えなかった。しかし一体誰が指示しているのだろう? ロシア帝国、同盟国、連合国――皆、敗者だ。同時に、世界中で独立運動が起きつつもある――アイルランド、チェコ、アゼルバイジャン、シク教徒、イスラム教徒、ヒンドゥー教徒。未知の脅威が世界中の帝国に支配される民に代わって戦争を画策したとでも言うのか。
 最近は傍受する暗号がより複雑になった――二重、三重、あるいは不規則転置式と言った具合に。途中まではまだ解読できるが、一重の並び替えからさらにスクランブルされているのだ。たまに解読に成功することもあった。Aは出現頻度が高く、Zはほとんどないので、解読はいわば文字の頻度を鍵にしたパズルだ。でも、Xとは何だ? ひょっとしてメキシコのことか?
 そして最近、またアルゴリズムが変更された。おそらく換字式暗号だが、文字出現頻度を隠蔽するためのごまかしの暗号だろうか? ただの数字の羅列のようだが、それぞれの数字が特定の語にマッピングできるのか? 暗号化されたテキストが十分にあれば、使用頻度の高い単語や文法規則は明らかになる。しかしパーシーはもう解読どころか、言語を特定することさえできなかった。そこにあるのはただの数字で、彼の処理能力を超えていた。しかし追跡すべき手がかりが一つあった――多くの無線電波の信号はとても強かったので、どこか近くから来ているにちがいなかった。彼は無線受信機を持って電車に乗り、信号を三角法で測定して、ここマドラスの大学キャンパスを突き止めていた。これは世界秩序を転覆させようと企むインドの反乱、謀反なのか? しかも、それがパーシーの管轄内にあるこの場所で計画されている? となれば今こそ力を発揮し、世紀の大事件を解決し、英雄となって世界を救うチャンスだ。
 このような変わった暗号をつくり出すには数学的技術が必須だ。パーシーは数学科の短期複式簿記講座を履修して潜入捜査を始めることに決めた。格好の口実だ。しかし、事は慎重に進めなければならない――もしも陰謀者に自分が警察だとバレたら、間違いなく命が危険にさらされる。
 バニヤンの並木に沿ってぶらぶらと歩き続け、パーシーはようやく大学、そして学生が履修登録待ちをしているホールへと辿り着いた。それはイギリスのインド支配を確立したベンガル総督クライヴの息子が建設したホールで、高く白い柱の上に誇らしげに立っていた。帝国の力を祀ったギリシャ風の神殿といったところである。こんな場所からジョージ英国王に対して反乱を企てるなんて、いったいどんなネズミ野郎だろう?
 インド人とイギリス人の学生が登録待ちで小さな列をつくっていた。「こ、ここ、こんにちは、ぶぶ、ぼくはパ、パ、パーシー・ヘ、ヘッド=ウッド。か、か、会計学をまな、学びにきたんですけど」パーシーは吃《ども》った。
 「いらっしゃいませ。のどが渇いているようですね。職員が来るまでの間、どうぞホールでご自由にお食事やお飲み物をお召し上がりください」
 歩いていくと、パーシーは豪勢なごちそうを見つけた。中でも一つの料理が特別食欲をそそる。甘い香りを放つシロップに浸かった、つやがあって赤茶けた団子状の食べ物。一つ食べてみる。とびきり上等ですばらしいではないか。ここしばらく警察の食堂で、胃もたれするケジャリーばかり食べていたが、インド料理にこんなにおいしいものがあると前から知っていたなら……。彼は一つ、また一つと食べていった。
 礼儀正しいインド人の事務員が近づいてきた。「お待たせして申し訳ありません。職員は間もなく来ますので。デザートを楽しんでおられるようですね。インドではこれはジャムンの木の果実に似ていることからグラブジャムンと呼ばれています。作り方は、まず牛乳をペースト状のとろみが出るまで――コヤと呼ばれる状態になるまで――コトコト煮詰めて、次に小麦粉とカルダモンのスパイスを加えます。混ぜ合わせたら団子状にして大桶一杯の溶かしたバターで揚げるんです。最後に揚がった生地をローズの香りの蜂蜜やサフランのシロップでコーティングしてやります。これまで味わった中でいちばんおいしいデザートだとお思いになりませんか?」
 事務員が一皿勧めると、パーシーはまた一つ取らずにはいられなかった。「と、と、とてもおいしいです」。パーシーは、膨張する腹の中にまた一つ蜜の味の歓喜が消えていくや否や、わずかによだれを垂らしながらベルトのバックルを一穴分緩めた。
 「どうぞもっと召し上がってください。まだ生徒もそろっていませんし職員もまだ来ませんから」。事務員はパーシーにまた一皿手渡した。
 彼はもうなぜここへ来たのかもほとんど忘れていた。ああ、うん、いいじゃないか、あともう一つだけ…。そしてローズの香る球体を口に放り込み、ネバネバしたシロップが極上の蜂蜜のように彼の口の中を満たす。
 事務員はふらっと教授陣の方へと退いていった。「警察だ。もし何か聞かれたら殺せ」。眼鏡を掛けた学生のそばを通るとき、彼はそう囁いた。

【訳者解説】
 イギリスからインドに来た警察官が、暗号メッセージを手掛かりにテロ組織を探る。そして、ある大学に潜入しようとするが、すぐに正体を見抜かれる。というスリリングな話です。
 では、なぜ正体がばれたか? 
 グラブジャムンの食べ過ぎ、というのが答え。「警察の食堂のインド料理がまずい」ということですから、インド料理を(いつもと違う感じで)おいしそうに食べるのは警官とばれてしまうのですね。あるいは、警察の食堂ではグラブジャムンを出しておらず、それを知っているテロリストたちはグラブジャムンをおいしそうに食べる人物を警官だと見分けているか。残念ながらそこのところがあまりはっきりしません。グラブジャムンはなんでも「世界一甘いスイーツ」らしいので、まあ、次々に食べる人物は怪しいですね、とりあえず。想像するだけで歯が痛くなりそうですが、食べてみたい。
 今回の短編は暗号についてのうんちくがすごい。転置式暗号とか、頻度分析とか、暗号理論とか、ウィキペディアで勉強するのは楽しそうです。
 暗号と言えば、ピンチョンの『競売ナンバー49の叫び』に影響を与えたかもしれない、ハリー・マシューズ(Harry Mathews)のThe Conversions (1962) という作品があって、途中、言葉は英語みたいだけれど全然意味が分からない部分があるのですが、そこは実はすごく有名な方法で暗号化されているのだそうです。暗号好きな方はぜひご一読あれ。
 ついでに、「アメリカ文学 暗号」で検索するとトップにヒットするのは多分、マシューズではなくて、ピンチョンでもなくて、ポーの「黄金虫」だと思います。「黄金虫」で思い出すのは、リチャード・パワーズのGoldbug Variations。翻訳の進行具合はどうなっているのか、興味はあれど、関係者には尋ねづらくて尋ねていません……。
(了)