2013年10月16日水曜日

政治と散文



ハッシュスリンガーズ著 木原善彦訳

政治と散文
(http://www.hashslingrz.com/politics-and-prose)

 英國に戻ったメイスンとディクスンはチェシャー・|乾酪《チーズ》|旅籠《タヴァーン》に宿を取った。二人が或る晩、ドミノをやりながら黒麦酒と雲雀《ヒバリ》入りの布甸《プディング》の夕食を楽しんでいると、偶然そこへマスクライン牧師が現れた。王立協会の集まりに参加するために倫敦《ロンドン》へ来たに違いない。
 「チャールズ君、ジェレマイア君、これは驚いた。君たちがそろそろ植民地から戻るという話は聞いていたが、まさかこの旅籠にいるとは。王立協会でも汝らの測量は大層な噂になっていた。ぜひここで、土産話と将来の計画を聞かせてはもらえないだろうか」
 マスクラインが姿を見せてからずっと苛ついた表情を見せていたメイスンが不意に、律動的《リズミカル》な口調で詩を詠み始めた。

夏の花は枯れ、死す
苗木に水をやれ
豊かな胸は子供らを養う

 「メイスン殿は愛妻レベッカさんの死に大層胸を痛めておられる」とジェレマイアが説明した。「傷心の治療として、旅先で東洋の専門家が勧めた方法として、メイスン殿は今、人生の両極のバランスを整えようと試みているところ。散文詩のみを口にすることで、熱さと冷たさ、光と闇、生と死などなどのバランスを整えるのです」
 「それはまた変わった治療だ。先の朗唱には確かに面喰らった。だが、ジェレマイア君、私が麦酒をご馳走になる間、汝らが植民地でいかなる知識を得たか、聞かせてはもらえないか? ぜひとも旅の話をお聞かせ願いたい。これ、よろしいかな?」。牧師はそう言いながら、麦酒の大容器《ピッチャー》に手を伸ばした。
 「どうぞご自由に、牧師殿。わしは実際、多くのことを学びました。より正しい座標を地球に描く方法を今、論文にまとめているところです。ヴァージニアで木の下に座っていたとき、林檎が頭に落ちてきました。皮を剥こうとナイフを手に取った瞬間、閃いたのです。赤道上の一点から一定の角度で或る距離を取れば、地球上の任意の点に到達できる。そのときをきっかけに、わしは緯度と経度という概念を完全に放棄しました。わしは今では、地上のすべての点を赤道上にある原点からの角度と距離によって定めています」

月球、はるかなり
道を定める地図
時の手は嘘をつかざり

「ジェレマイア君、その考え方は随分と道を外れているよ」。牧師はメイスンの発言を無視し、雲雀の布甸を口に入れた。「第一に、グリニッジから南に線を引いて赤道と交わる場所は海のど真ん中で、計測に便利な起点とはなり得ない。第二に、その角度とやらが規定する等角航路は極に無限に近づく渦巻き線になる。まさに航程線だよ」
 「失礼ですが、私の理論では、グリニッジは真の起源から外れた一つの点に過ぎません。地球の起源はエデンの園、あらゆる生命の源を原点として定めるべきというのが私の信念です。神はそれを赤道上の、アビシニアの何処《いずこ》かに置かれた。私の方式は、船乗りの間で堕落の中心として名高い土地ではなく、神の図面に基づいて規定されているのです」

「大洋に失われた哀れな魂は
時計に時を見いだす
そして特定される現在地」

 「ジェレマイア君、人類の起源が阿弗利加《アフリカ》にある、あの野蛮な大陸、異教徒の暮らす大地にあるなどと言うのは狂気ですぞ。済まぬがその麦酒をもう少しこちらへ回してもらえぬか。どうやらその林檎は随分と重量があって、かなりの重力でもっておつむに当たってしまったようにお見受けする」
 「欧州以外の土地に住む異教徒たる先住民の存在に目をつぶるのが世の流儀のようですね。しかし私は知りました。亜米利加大陸の先住民は人類の中で最初に阿弗利加を離れた集団なのです。彼らは航程線に沿って蒙古の草原を横切り、北極にたどり着いた。すべての航程線はそこに至るからです。その後、彼らは数学的にありえないと思われる芸当を成し遂げ――恐らくは第四の次元を通って――亜米利加大陸に渡った。“野蛮人”と蔑まれている彼らですが、実際には我々の理解を超える経験と知識を有しています。それは途方もない旅の賜物《たまもの》なのです。わしはこの先、国会議員に立候補し、亜米利加大陸先住民の代表を務める所存です。いつか、すべての人が法の下で平等となる日がやって来ることでしょう――神の目にそう見えているように」

「雲に隠れた星々
私は時計を見る
歴史がすべてを裁くであろう」

「ジェレマイア君、君が政治を志すとは大変意外だ。しかし、君の考え方が王の偉大なる帝国において支持を得るとは思えない。汝らお二人は旅で随分と変わられたようだ」

「月は狂気を呼ぶ
時の経過を見よ
すべては褒美を得んがため」

「本当に随分と変わられた。特にメイソン様は。しかし、残念。もはや布甸もなく、麦酒も空っぽ。もっとお話をしたい気持ちは山々なれど、明日の朝にはジョージ王との謁見があるゆえ、これにて失礼。さらばだ、殿方」
 牧師が去ると、メイスンが空になったピッチャーを取り、給仕にお代わりを注文した。「なあ、ジェレマイア、まったくハリソン君の言う通りじゃないか。あの牧師はユーモアを解さぬただのお喋り屋だな」
 「その通りだな、チャールズ。しかも、財布の堅さと来たら、女将のコルセット並み。他人のビールを飲むだけ飲んで、空になった途端に消えた」
 「しかし、航程線云々という先の法螺話、あれは聞き応えがあった。あの男をぎゃふんと言わせるのは、ハリソン君の時計を巻くのと同じくらいたやすい。政治と散文詩でいちころだからな」
 「“法螺話”? 汝は|巫山戯《ふざけ》ていたのかしらんが、わしの話はすべて本気さ」

【訳者解説】

「政治と散文」(九月二十三日公開)について
 「政治と散文」というフレーズは『BE』一〇六頁に出て来る。内容は『メイスン&ディクスン』の設定を借りた短編。チャールズ・メイスンとジェレマイア・ディクスンはアメリカでいわゆる「メイソン=ディクソン線」の測量を終え、英国に戻ったところ。メイスンは小説中ずっと、亡き妻レベッカを思い続ける。ネヴィル・マスクラインはメイスンのライバルの天文学者で牧師。王立協会(または英国学士院)は英国最古の、権威ある科学研究の学会。ジョン・ハリソンは時計職人で|経線儀《クロノメーター》の発明者。
 ヒバリ入りのプディングは百五十年前の料理として、レシピがこちらのHP(http://victorianstories.blogspot.jp/2009/10/202-lark-pudding.html)に紹介されている。
 柴田元幸さんの翻訳をまねようと努力したのですが、とても難しくて、中途半端な文体になってしまいました。

(了)


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