2014年5月16日金曜日

マフィヤ



マフィヤ
(http://www.hashslingrz.com/muffya-0)

V.D.著 安保夏絵・木原善彦訳

 レイ・スナーロウは東アトランティスモールの駐車場に入り、『生きて、働いて、そして遊ぶ!』と書かれた看板の下に車を停めた。
 「遊ぶなんて、いつの話になるのかしら…」と彼女はぼそっと呟いた。「シフトマネージャーになるまでは無理。この町は家賃が超高いから」。まるでモノクロの虹のように並んだ動かない車の横をすり抜けながら、彼女は今日も平和に終わるようにと祈った。
 そのショッピングモールの前世は工場で、テナントに入っている“ホットトピック”の真上の位置に給水塔が残されたままである。建築途上のトローリースクエアといった風情。最年長の警備員、ハルによれば、その給水管は大昔からあるらしい。わしも同じくらい昔からここにおるけどな、というのが彼の口癖だ。レイはよく十五分の休憩中に、ハルと話をした。彼女は雨や風を気にせず、非常階段の下でこっそり、ナットシャーマンのピンクの煙草を吸った。目立たないように吸ってはいても、やはり気になった。ピンクの煙草はあまりにも目立つ。そうでなくとも、誰かに気付かれるかもしれないけれど……。
 永遠の若者向けに手を抜いて作られた服を販売する『フライイング・アウル』で、レイの勤務はごくごく普通に始まった。彼女は、従業員の行動のうち数量化できるものすべてを会社の奥の奥にある中央基地に報告する機械に、自分の社員番号を打ち込んだ。勤務が始まると一通り、数字のチェック。昨年同日の売り上げ、その+8%という本日の売上目標。今週の販売促進製品の確認。それが終わると、彼女は店の入り口に立ち、挨拶をした。

 こんにちは。
 ハーイ。
 今、お客様がご覧になられているシャツのお色違いで黒いのが、奥にございます。どうぞお立ち寄り下さいませ。
 本日イヤリング全品、なんと2つで15ドル。
 素敵なシューズですね。どちらでお買いになりました?
 こんにちは。
 ハーイ。

 これが十五分休憩まで続く……。
 ハルは今日、非常階段の下に居なかった。代わりにアリアナがいた。彼女は“レイシー・ステイシー”のシフトマネージャーで、上品にカプチーノをすすっていた。レイは彼女を嫌いたかったが、そんなことはできないと自分でも分かっていた。レイは時々、“レイシー・ステイシー”の店を訪れた――これはずるをしているわけじゃなくて、ライバル店の様子をチェックしているだけ、と自分に言い聞かせながら。カウンターの向こうにいるアリアナは人造宝石をまとい、艶のあるブロンドヘアーが金の液体となって顔を縁取っているように見えた。手はまるでピアノで協奏曲を奏でているかのように抵抗なく滑らかに動き、靴下やシャツの金額をレジに打ち込んでいるようには見えなかった。要するにお店にいる時のアリアナはいささか美しすぎるのである。 しかし、今この瞬間の彼女は眉間にシワを寄せていた。
 「どうしたの?」とレイは尋ねた。
 「ハルからあなたがよくここに来ると聞いて」と彼女は言った。
 「私を探していたの? どうして?」
 「ここはなんかおかしい」とアリアナは言った。
 「おかしい?」
 「そうよ。その通り。」
 レイはぽかんとしながら彼女を見つめて言った。「ん?」
 「あなたは何かおかしいと思ったことは一度もないの? 怪しいことが行われてるって。密かに」
 「ない」とレイは言った。
 「このショッピングモールはよそと違う」とアリアナが続けて言った。
 「よして」とレイが遮った。「以前、そういう妄想の話を一度だけ聞いたことがあるわ。モールの従業員としてのプライドが原因。従業員が休暇を取らない時にかかるビョーキみたいなもの。DSM(精神障害診断マニュアル)にも載ってる。調べてみて」。いくら美人でもパラノイアは勘弁してほしい、とレイは思った。
 「あなたは分かっていないんだわ。あいつのオフィスがここにあるの。例の建築家。もし行けるものならそこに行って、昇進させてもらえるように頼もうかと思うんだけど。まあ、見てて」
 しかし、レイはアリアナが本当は何を言いたいのかを確かめる時間がなかった。休憩時間が終わった。「えーと、それじゃまたね」
 レイが多すぎるコーヒーを飲み、カンパオチキンを食べている間に、一日の残りが過ぎた。
 その日の晩、レイは再びパウェイの夢を見た。暗闇から現れたのは砂漠州でも、|死者の国《サイバラ》でもなく、(少なくとも彼女にとっては)どこでもない世界だった。そこにはレイの妹、ジェニファーがいて、トイレのドアを開けたまま灯りを消して便座に座り、電話の相手にぶつぶつと言っていた。「奥様、そのご注文は承りかねます」
 会話が途切れたところでレイが言った。「ここから出て、喫茶店にでも行きましょう。グルテン抜きのクロワッサンか何かを食べない? 私は失業中で、あなたは働いている。でも、別に二十ドルくらいなら私にでも払えるわ」
 ジェニファーは初め、何の反応も見せなかったのだが、結局は折れた。「そうね。ちょっと考えさせてちょうだい。食べるなら最高のものじゃなくちゃ。姉さんも知ってると思うけど、シナモンと大麻仕立てのスフレとか、山羊乳チーズで作ったファッジにベリーソースをかけたのが私は好きなのよ」
 レイは車があるかどうか確認しにガレージへ行こうと階段を降りる途中で母親に引き留められた。
 「おばあちゃんがチョコレートを送ってくれたわ」と彼女は言った。「一緒に食べましょう」。チョコレートはゴルフボールくらいの大きさで、茶色い粉砂糖がまぶしてあった。箱がたわんでいた。チョコは三列。その様子はオペラの客席を思わせた。
 「ダイエット中だからどうかな」とレイは言った。
 「え、ダイエットよりもこっちの方がいいわよ! 飲み込んだ後、十分か十五分したらまた吐き出せばいい。そしたら妖精が現れるのよ」
 実際にやってみようと、レイは二階に箱を持っていき、一粒だけチョコレートを食べた。頭の中が妄想でいっぱいになった。「さあ、どうしよう」。まずは妖精にダンスを教えよう。決まり切ったパターンで振りを揃えるのがいい。きっと、YouTubeで注目を集める。なんとかダンスをこなし、腕を振って少しだけ脚を動かしていると、レイはザ・ルミニアーズが『Ho Hey』を歌う野外コンサートに移動していた。適当に集まった二十人ほどの客とレイだけのために催されたコンサートだ。その後、野外でQ&Aコーナーが始まったが、内気なレイは何も質問することができなかった。その次にはポメラード通りから少し入ったツインピークス通りを歩いた。町に義務づけられた景観用の緑、木々の間を走る真っ赤な血管。それはまるで、メッセージを運んでいるかのように脈打っていた。そして低木。コンクリートの道が蛇のようにくねくねと続く。レイはもう一度メリンダを探さなければならないと思った……と、そこで夢が終わった。
 次の朝、再びショッピングモールの更衣室で着替えを終えた彼女は、働き始める前に心を決めた。「今日の休憩時間はメープルシロップを休憩中に食べよう。アリアナもきっと欲しがるわ」

【訳者解説】
 今回の短編はいつもの著者ではなく、V.D.さんがハッシュスリンガーズのサイトに投稿したものです。
 なので、いつもと雰囲気が違う。というか、(続けて読んでくださっている方々には申し訳ないのですが)どうにもよく分からないところがあって、翻訳としても微妙な仕上がりになってしまっている気がします。担当の学生(共訳者)もかなり苦労したようですが、私もちょっともやもやが残っています。
 作中、アリアナさんが、いつも変わらぬモール勤めで妄想を抱き始めている(あるいは、本当にこのモールには裏があるのかもしれない)というところまでは『ロット49』みたいな陰謀/妄想ネタだからよく分かるのですが、帰宅した後に見る夢が私にはちんぷんかんぷんです(夢だから当たり前、と腹をくくる手もありますけど)。で、翌朝の「今日の休憩時間はメープルシロップを食べよう」という決意に、夢がどうつながるかも不明。
 ともあれ、こういう味わいの短編があってもいいと思ったので、やっぱりここに掲載することにしました。どなたか、解釈のお知恵があれば、ツイッター(@shambhalian)でお知らせくださると幸いに存じます。
 なお、次のようなものはすぱっと分かったアイテムたちです。
・タイトルの「マフィヤ(Muffya)」はマフィア(Mafia)の異綴として『ブリーディング・エッジ』に出てきます。すけべな駄洒落になっていますが、教育上の理由で省略(答えはこちらをご覧ください)。
ホットトピックというお店は、音楽・ポップカルチャー関連の服やアクセサリーを売る大手のチェーン店。
トローリースクエアというのは、ユタ州ソルトレークシティーにある流行のモールで、天気予報塔と呼ばれている塔が目印みたいですが、ちょうど物語の舞台のモールの給水塔に似ています。
・ナットシャーマンのピンク色の煙草はこんなのです。派手。でも格好いいような・・・。
・グルテンフリー。「ハリウッドセレブに人気のグルテンフリーとは」という記事などをご覧ください。健康志向の一部アメリカ文化は、次々に「○○フリー」を生み出しますね。
・ザ・ルミニアーズは実在します。2012年にデビューしたコロラド州出身のフォークロックバンド。なんと、初来日ツアーも行われるらしい。
パウェイという町はカリフォルニア州に実在します。原文ではパグウェイ(Paguay)となっていますが、これは先住民の地名をスペイン風にした古名。ツインピークス通り、ポメラ-ド通りはどちらもパウェイにあります。ツインピークスという地名はあの『ツインピークス』を思い起こさせます。
砂漠州は一八四九年にモルモン教徒が州として組織したユタ、アリゾナ、ネヴァダを主とした地域。連邦議会はこれを拒否し、一八五〇年にユタ準州ができました。『ブリーディング・エッジ』には“砂漠州《デザレット》”という名の謎めいた超高級マンションが出てきます。
もしも砂漠州が存在していればパウェイは州の南西角に位置し、トローリースクエアは州の中心付近に来る。ここに意味があるのか、ないのか、不明。
・死者の国《シバルバ》と訳したのは、マヤ神話に伝えられる死者の国のことです。原文は綴りが違うのですが、でもたぶん、これのこと。
DSMは最近、マスコミなどで取り上げられることもあるので広く知られるようになりましたが、アメリカで心の病気の診断に用いられているマニュアルです。しばしば改訂されていますが、そのたびに、「何が病気で、何が正常か」という基準が変わっているのが興味深い。同性愛やPTSDみたいなものがここでどう扱われてきたか、というのが研究題目になったりもします。

(了)

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